☆この記事はこのような人におすすめです。
・サッカー元日本代表、内田篤人の嫁(奥さん)の榎田優紀の画像を見たい。
・内田篤人と榎田優紀の子供(娘)について知りたい。
内田篤人が結婚を発表したのは、2015年5月25日のシャルケに所属していた時でした。
嫁は地元の幼なじみで小学校の同級生だった榎田優紀さん。(画像あり)
また、2017年5月13日に内田篤人の所属事務所が「夫妻に第一子となる長女が昨秋に誕生していた」と発表したのです。
そこで今回は、内田篤人の嫁・榎田優紀と子供(娘)の名前、引退の原因となった右ひざの怪我、病名などについてまとめてみました。
内田篤人の嫁(奥さん)の画像
女性ファンがショックを受けるほど、いつの間にか結婚していたサッカー元日本代表の内田篤人。
「ウッチー」の愛称で親しまれる内田篤人は女性から大人気。
その男のハートを射止めたのが、地元の幼なじみで函南町立西小学校、函南町立東中学校の同級生です。
なお、結婚を発表した当初は嫁(奥さん)が一般人ということもあって、名前が伏せられていました。
しかし、内田篤人が出演したトーク番組「A-studio」に幼なじみ3人組が出演したことで、嫁(奥さん)の名前が榎田優紀さんと特定されたのです。
※内田篤人の嫁の榎田優紀さん
女性にあまり興味がないという内田篤人は、榎田優紀さんと知り合ってから20年来の遠距離恋愛を成就させました。
嫁の榎田優紀さんは、元々テレビ静岡のアシスタントプロデューサーとして勤務。
そして、結婚を機に2015年3月でテレビ静岡を退職しています。
ちなみに、当時は内田篤人の奥さんが榎田優紀さんだったことが分かると、テレビ局時代の写真が一気に拡散されました。
するとネット上では「ウッチーの嫁思ったほど可愛くない」「完全にさげまんじゃん」「もっとお似合いの人がいたはず」など批判が殺到。
この頃の内田篤人といえば、怪我をしていたこともあって、結婚相手にあまり良い印象が持たれなかったのです。
内田篤人の娘(子供)の名前
内田篤人が結婚した当初、奥さんの榎田優紀に批判が集まりました。
ですが、そもそも内田篤人は好きな女性のタイプを「見た目が派手じゃなく、控えめで古風な人」と言っていたのでお似合いだと思います。
そんな夫妻には2人の娘(子供)がいます。
第一子が誕生していたのは2016年の秋。
娘が生まれていたことを内田篤人の所属事務所「シャルケ」が2017年5月13日に発表したのです。
また、「子供が大好き」と公言する内田篤人にとって待望の第一子となり、発表した日はホーム最終戦となったハンブルガーSV戦で娘をシャルケのサポーターにお披露目。
海外の風潮なのか、日本ではあまり見かけられない光景を目にしたのを覚えている人もいるかと思います。
※内田篤人の娘(子供)
そして、2人目の子供が2020年に生まれているのですが、どちらも名前は非公表にしているようです。
というのも、内田篤人はSNSを一切していません。
せめてインスタでもやっていれば、2人の娘の名前が分かったかもしれないのが残念です。
内田篤人の怪我の原因と病名
内田篤人は、右ひざの怪我から完全復活を目指していました。
怪我の病名は『膝蓋靭帯の骨化』。
原因は2014年のハノーファー戦で右ひざの裏の腱を切ったことがきっかけだったのです。
内田篤人はそんな状態でワールドカップとチャンピオンズリーグを出場。
そのときに無理な負荷がかかり、右ひざの膝蓋靱帯に影響を及ぼしたということです。
ちなみに、病名である『膝蓋靭帯の骨化』は、だんだん靱帯が骨になる病気。
どんどん靭帯が硬くなり、ひざが動かなくなって相当痛いそうです。
一刻も早く手術をしなければいけないのに、内田篤人はそのあとも1年くらいプレーし続けていたのだとか。
そして、とうとう右ひざは、『膝蓋靭帯の骨化』が原因となり、2015年3月のホッフェンハイム戦でさらに悪化することに。
同年6月に右膝膝蓋靱帯の手術に踏み切り、リハビリ&トレーニングを余儀なくされたのです。
その後、内田篤人は2016年12月の欧州リーグ・ザルツブルク戦で実戦復帰したものの、リーグ戦では出場機会に恵まれませんでした。
それでもひざの状態はほとんど痛みが出ず良好で、2017年8月からシャルケからブンデスリーガ2部の1.FCウニオン・ベルリンに1年契約で完全移籍。
2018年1月、古巣である鹿島アントラーズへ復帰し、2020年のシーズンで引退したのです。